Thursday 7 November 2013

盲ろう者と社会をつなぐ架け橋

盲ろう者の通訳介助者って、どんな人でしょうか?初めて盲ろう者のことを知った人は、「通訳と介助を同時にする人じゃないですか」と言うかもしれない。しかし、その専門を身に着けるのは本当に難しくて、ニュアンスが多いと思えます。耳と目の両方が使えない方は、生活していく上でアシスタントが必要です。例えば、今私は大野さんのアシスタントとして働いています。大野さんはロシア語しか話せない人と会ったら困るから、通訳者が必要です。それは通訳介助者も同じですね。盲ろう者が上司で、通訳介助者を雇用しているみたい。

10月9日から11日までは、盲ろう者を支援するための通訳介助者を養成する研修がありました。サマルカンド、フェルガナ、アンディジャン、ナマンガン、カシュカダリヤ、タシケント、キブライ、カラカルパクスタン共和国から来た学校の手話教師、手話通訳者、民間団体の職員、ボランティアが、通訳介助者になるためにの3日間トレーニングに参加しました。

トレーニングのとき:アザムさん(左)は盲ろう者の役割をして、マトリューバさん(右)は通訳介助者としてガイドをしています。2人はナマンガンの46番寄宿学校(ろう者特別支援学校)の教師です。

アザムさんも使っている機械を使えば、盲ろう者の宇宙を想像することができます。盲ろう者が一人で外へ出かけたら、歩いている道も見えないし、車の音も聞こえないし、信号がいつ赤から緑になるのも全く分かりません。だから、盲ろう者は一人で外出できません。その為、外へ出かけて散歩したい時や、バザールへ行って買い物をしたい時は、通訳介助者の支援が必要になります。

外出のとき:カシュカダリヤ出身の手話通訳者ショフサナムさん(右)が、フスヌディンさん(左)の手に何か書いて説明しています。盲ろう者の手に字を書くのは、一番簡単なコミュニケーション方法です。(恋物語みたい)
タシケント市ろう者文化センターの会長グザルさんが、弱視者になって挨拶しています。隣にも、何も見えてないタシケント106番学校手話教師のもう一人のグザルさんがいます。
「私の手話が見えていますか?」
福田さんが研修参加者に、自分の点字の機械を紹介しています:「これを使えば、パソコンの画面に何が書いてあるか知ることができます。フェースブックも使えますよ!」 
近くにあるスーパーに行くとき:コーカンドにあるNGO「チャンス」のザリナさん(中央)が通訳介助者として、盲ろう者のソジダさん(右)をガイドしています。でも、ソジダさんは外を歩くときには旦那さんしか信頼できないそうです。
道を渡るとき
最後の日に、タシケント出身のろうベースの盲ろう者のトゥルグンさん(右から二人目)が、福田さん(左から二人目)にウズベキスタンの伝統的なパン「ノン」をあげました。ノンは大きくて、福田さんはとても喜びました。
コヒーブレイクのとき:プロの手話通訳者ミノワルさんが、福田さんにウズベキスタン手話を教えています。内容は、「お金が必要、お金がありません」
3日間、通訳介助者トレーニングの最後の日、参加者の皆さんが村岡さんから修了証をもらいました。
ウズベキスタンで初めて、21人の通訳介助者が産まれました。

これからウズベキスタンの盲ろう者を支援するために、通訳介助者サービス制度を作らなければならない、通訳介助者の数を増やさなければならない、東京全国盲ろう者協会の蓄積した経験から学ばなければならない、と言う希望がわいてきて、それを実現するための動きが出てきています。

written by Murato
corrected by Ohno san
photographer Yasuta Kazuki

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